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代表プロフィール / インタビュー
CEO Profile /Interview
代表プロフィール / インタビュー

榎本 真之
Masayuki Enomoto
2001年、ニューヨークでアナリストとして働いていた最中に経験したアメリカ同時多発テロ。
その非日常的な出来事をきっかけに、「人生は一度きり。やりたいことをしなければ損だ」と価値観が大きく変わり、日本への想いも強まり帰国を決意します。
帰国後は、外資系アパレル企業「Theory」にて広報・ブランディング業務を経験。
そして、幼い頃から親しんできたゴルフの世界に再び関わることとなり、プロゴルファー久保谷健一選手からの声がけを受け、USPGAツアー帯同マネージャーとして、再度アメリカに渡米することに。
2007年に「EM SPORTS(イーエム・スポーツ)」を設立、その後、ゴルフショップ事業は売却ののち、2010年に株式会社イーエム・スポーツを立ち上げ、スポーツエージェント業として本格的に始動。選手一人ひとりを「バディ(相棒)」と捉え、彼らが自由に、自分らしく輝ける舞台づくりを使命としています。
選手・スポンサー企業・ファン・社会と“心でつながる”関係性を大切にしながら、EM SPORTS(イーエム・スポーツ)は日々「研究」を重ね、愛されるアスリートの育成と支援に取り組んでいます。
代表プロフィール
| 1999年 | ニューヨーク・Marymount Manhattan College 卒業 |
| 2000年 | NYのシステム企業にてアナリストとして勤務開始 |
| 2001年 | 9.11 アメリカ同時多発テロを経験し、価値観が大きく変化 |
| 2002年 | 帰国。外資系アパレル企業「Theory」にてPR・ブランディングを担当 |
| 2006年 | 久保谷健一プロのUSPGAツアー帯同マネージャーをきっかけにゴルフ業界に参入。 |
| 2007年 | スポーツマネジメント会社「EM SPORTS」設立。その後、事業売却。 |
| 2010年 | 株式会社イーエム・スポーツ 設立。スポーツエージェント業で現在に至る。 |
代表インタビュー
ニューヨークでの経験が人生を変えるきっかけに
ニューヨークの大学Marymount Manhattan Collegeを卒業し、マンハッタンでアナリストとして働いているさなか、9.11アメリカ同時多発テロに遭遇。これを機に「人生一度きり」「やりたいことをしなければ損」と考えるようになり、人生観が変わりました。
帰国後、大手アパレル会社のTheoryでPRやブランディングを担当しました。幼少期からプレーしていたゴルフの業界にはプロゴルファー久保谷健一選手からのオファーにより、スポーツエージェント会社を立ち上げて現在に至ります。
過去には、世田谷区でゴルフショップPGCを経営。
主に企業を対象としてスポーツイベントやコンペを企画・運営したり、スポーツ商品の企画、ブランドづくりを手がけている。
アスリートたちが自由に自分らしくプレーし、ファン、スポンサー企業、社会と心から繋がるための環境作りに尽力したいと思います。
高校卒業後に渡米し、ニューヨークの大学を出た後は、パソコンが好きだったということもあり、マンハッタンのシステム系企業でアナリストをしていました。とてもやりがいのある仕事だったのですが、自分はやはり日本人。海外で自分のスペシャリティを活かすには、日本の社会や文化をもっと知らなければならないと感じるようになりました。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロに遭遇したのは、そんなときです。一瞬で街中がパニックになり、まるで映画の中に自分がいるような感覚でした。これを機に「人生一度きり」「やりたいことをしなければ後悔する」と考えるようになり、人生観が大きく変わりました。
日本に帰りたいという気持ちもさらに大きくなり、翌年には日本の外資系アパレルメーカーで広報・PR・ブランディングに携わるようになります。このときの経験は、業界こそ違えどスポーツマネジメントとの親和性が高く、現在行っているプロ選手たちそれぞれの”ブランディング”に非常に活きていると思います。
僕とスポーツマネジメントとの出会いは、この後のことです。
プロゴルファー久保谷健一選手との出会い
企業の広報部署にいた僕がなぜスポーツ選手のマネジメントに携わるようになったかというと、きっかけはプロゴルファー久保谷健一プロからのオファーでした。
久保谷プロとはかねてからご縁があったということもありますが、英語ができて11年の海外生活歴があり、ゴルフもプレイできる、そして広報・PRに携わっているということで僕に白羽の矢が立ったのでしょう。相談を受けたその日には、すでに契約書が用意されていました。当時、久保谷プロはアメリカのツアー参戦が確定していたので、焦っていたということもあったのだと思います。もちろん僕にとっては未知の領域でしたし、何より在職中の身で、社長からは猛反対されたので非常に悩みました。しかし、「こんなチャンス、一生に一度あるかないかだ」と思い、一念発起してアパレルメーカーを退職し、久保谷プロとともにアメリカに渡ったのです。
起業当初の苦労は、まず「わからない」こと。会社経営もわからないし、スポーツマネジメントもわからない。熱いパッションがあって、ビジョンやミッションが明確だったわけでもない。今考えれば、若さとスポーツ界への憧れだけで飛び込んだようなものです。
「THE AGENT」というトム・クルーズ扮するスポーツエージェントが1人の選手をマネジメントしていく映画を観て、自分の境遇と重なり、映画からスポーツエージェントという仕事に期待や希望を持ちました。今思えば当時でも珍しいスポーツエージェントとは何か?を僕に教えてくれた教科書のような存在です。最初の5年ほどは探り探りで、がむしゃらにマネジメントをしていました。
弊社のマネジメントスタイル
とはいえ、今もがむしゃらであることは変わらず、スポーツマネジメントのことがわかっているのかというと、わかっていないことも少なからずあると思います。
そもそもマネジメントの方法は1つではなく、選手が競技に集中できる環境を作ることができ、結果を残してもらえれば、型にはまっていなかったとしてもそれは1つの答えです。
弊社は大きなマネジメント会社ではありませんが、その分、誰に忖度するわけでもなく、嘘も駆け引きもなく、選手やスポンサー企業とハートとハートでお付き合いさせていただいていると自負しています。選手は決して「商品」ではなく、僕たちの「バディ」です。
弊社イーエム・スポーツは、選手が多くの方から「愛される」存在になるために、日々改善と挑戦を続けています。 これまでも、右も左もわからなかったからこそ「どうしたら選手たちに伸び伸びプレーしてもらえるのか」「どうすれば応援してもらえるのか」「自分はどうなりたいのか」…そんな問いを常に持ちながら活動してきました。
選手が結果を出すには、まず私たちが結果を出さなければなりません。これからも新たなことにチャレンジし、ひとつ一つの研究が成功したとしても失敗したとしても、その成果を糧とし、選手やスポンサー企業とともに一歩ずつ成長していきたいと考えています。

